尾崎豊【J-ROCK DVD 名盤ガイド】〜6 Pieces Of Story

■収録曲
1.十七歳の地図
2.卒業
3.DRIVING ALL NIGHT
4.FREEZE MOON
5.路上のルール
6.I LOVE YOU

 

この「6PIECES OF STORY」は若者のカリスマ・尾崎豊の1986年に発売された記念すべきファーストビデオのDVD化です。いや〜、何度見ても尾崎の「魂の歌」というのは心を震わせてくれますよ。このビデオクリップ集ははっきり言ってカッコいいです! 絵になる映像がこれでもかと入ってますね。

 

あの伝説の新宿ルイード・デビューライブの模様も納められていて貴重度を上げてくれています。収録曲のラインナップも初期の名曲ばかりで、オレはかなり気に入ってます。高校時代にリアルタイムで聴いて凄く感動したことが、まるで昨日のことのように思い出させてくれて・・・う〜ん、感慨深い(シミジミ)

 

十七歳の地図、卒業、DRIVING ALL NIGHT、FREEZE MOON、路上のルール、I LOVE YOU・・・尾崎の一番光っていた頃、そう「十代」の頃に作った名曲の数々は、時が流れようともファンの心の中にいつまでも鳴り続けているんですよね。心臓の鼓動とロックの鼓動が共振しているかのように・・・。

 

現代社会というのは十代の少年の凶行が立て続けに起こり、目を覆いたくなるような現状となっているけどさ、これは夢や目標も定まらず、何処に向かって走り出せばいいのかさえ分からなくなってしまった空虚な時代の代償だとオレは思うんだ。学級崩壊、自殺者の急増、ストーカー問題もそうだよね。そんな時代だからこそ「尾崎の歌」を若い奴らに聴いてもらいたいんだよな。そしてシスティマティックな現代社会で失われてしまった、生きて行く上での大切なテーマを取り戻して欲しいと思うんだよ。「大切な何か」さえ分かれば、凶悪事件なんて起こんないわけだしね。尾崎豊の歌の中には、その「大切な何か」が全て詰め込まれているんですよ、ホントに。何も考えずバカばかりやっていたオレ自身も生き方変わったしね!

 

この尾崎のファーストビデオも感動を呼びます。どう感動するのか? それは本当にうまくは言えないんだけど、とにかく「心が震わされる」んですよね、何度見ても。尾崎得意の「語り」も所々に入っていて、感動箇所が多い作品となってますね。まさに尾崎初期の名曲の数々ですよ。

 

このビデオ発売の前年1985年には代々木オリンピックプールで2デイズライブをおこなったのですが、なんとこの2日間で2万6千人を動員!! 凄いですね〜、まだデビューしてから2 年経ってないんですよ。まさにうなぎ登りの人気を獲得していき、若者の「代弁者」として全国に熱烈な「尾崎信者」を増やしていったわけですよ。

 

足跡をたどると1985年1月21日に発売された 12インチシングル「卒業」はオリコンチャート初登場20位を獲得、そして同じく3月21日に発売されたセカンドアルバム「回帰線」は、いきなりオリコンチャート初登場1 位を獲得するという超人気急上昇ぶり!! この時点で確実に支持されるアーティストに変貌しましたね。そしてその「回帰線」を引っさげて回った"Tropic of Graduation"ツアー・ファイナル、8月25日大阪球場ではなんとなんと2万人にも及ぶ観客を動員したのだった!!

 

そしてその直後に始まった尾崎十代最後ツアー「LAST TEENAGE APPEARANCE」が代々木オリンピックプールで行われたわけなんです。まさに人気超絶頂といった感じで、翌1986年に発売されたこの尾崎の初発売となるこのビデオクリップ集は、当時尾崎ファンのバイブルと化しましたね。

 

今から思えば尾崎のアーティスト人生の中で一番勢いがあった時期が、この頃なんじゃないかなとオレは思いますよ。やはり「学校」や「教室」などをテーマにした十代が最も共感できる歌を歌っていたわけですから、二十歳を過ぎればどうしても歌にリアリティーが失われるんですよ。等身大のメッセージが響かなくなるんです・・・。

 

その後11月28日、尾崎二十歳の誕生日にサードアルバム「壊れた扉から」を発売し、翌1986年1月1日福岡国際センターのライブを最後に、尾崎は無期限の休業宣言をするのです。その後単身ニューヨークへ旅立ち充電期間を送るわけですが、その期間尾崎は極度のスランプに陥りました。要するに曲が書けなくなったのです。

 

これも分かりますよね。これまで自分が十代に感じたことをそのまま「歌」にぶつけ、ファンに圧倒的な共感を与えて来たのですが、二十代を過ぎれば過去に感じた「素直な気持ち」を、直接的なメッセージとしてファンに投げつけられなくなったと思います。若いファン達が自分の「代弁者」として尾崎に求めているもの、そしてその巨大に膨れあがった偶像のようなカリスマとしてのイメージ・・・・・そんなファンの求めているものに、尾崎自身が素直に応えられなくなったのだと思いますね。なぜならもう十代を過ぎてしまったのだから!

 

その二十代になってしまった自分と、代弁者として尾崎を見るファンとの気持ちのズレが、その後の「覚醒剤での逮捕」につながって行ったのではないでしょうか。ニューヨークでの充電期間中はボロボロ状態だったと聞きます。まさに若きカリスマの悲劇としかいいようがないですね。

 

それに彼が不在の間も、ファンの尾崎熱は冷めることなどなく熱くなる一方!! 尾崎待望の声が全国各地で聞かれましたね。オレもその一人ですw その尾崎不在の期間も尾崎伝説の噂が噂を呼び、新しいファンがどんどんどんどん増えていきましたね。それまで残した3枚のアルバムが確実に思春期のファンを増殖させていったのです。

 

またそればかりではなく、1986年1月14日にはフジテレビ系列にてこの85年代々木オリンピックプールでのライブを収録した「早すぎる伝説」が放送されました。オレも見ましたよ〜。当時尾崎のビデオも出てなかったので、そのテレビ放送を見た時はあまりにも衝撃が強すぎて鳥肌が立ちましたよ。「ス・スゴイ!!」まさにこの一言。心にグッと来るものがありました。その放送をビデオに撮って後で友達に回したら、みんな尾崎の虜になってしまいましたねw 十代のカリスマの威力は凄かったですよ〜ホント。もちろんオレの高校生の時です。

 

そしてその「早すぎる伝説」の放送があまりにも反響が大きくなり過ぎ、全国各地で再放送の声がテレビ局に殺到!! そのため同年3月25日に「早すぎる伝説」が全国で再放送されたのです。まさに異例中の異例のことなので、それだけ見ても尾崎人気の凄まじさが分かりますよね。

 

充電中の尾崎はかなりのプレッシャーを感じていたのではないでしょうか。復活する時はより凄いものをファンに提示しなければならないというプレッシャーを・・・。しかしもう十代ではない尾崎は、ファンとのズレを埋めることもできずにもがき苦しんでいたのでしょう。そして1986年5月に単身ニューヨークへ飛び立ちましたが、きっと自分の現状を変えたかったのではないのかな。ズレを埋めたい、その一心だったと思います。異国の地に行けばきっと何かが変わると信じて・・・。しかしここでもスランプという最悪の状態が彼を襲ったのであった。

 

一方日本では彼がニューヨークで苦しんでいるのに反して、ますます尾崎人気が過熱の一途をたどる。同年7月にはフィルムコンサート「もっともっと速く!」が全国100ケ所にて開催され、これがなんと20万人を動員!! 尾崎のいないフィルム(過去のライブ映像)でのコンサートにも関わらずですよ! 凄すぎですよね。

 

そして1985年7月21日にはこのDVD の元であるビデオ「6PIECES OF STORY」発売、8月21日には単行本「失した1/2」発売され本人がいないところで「尾崎伝説」人気は爆発しました。尾崎待望論は日に日に大きくなり、それと同時に「カリスマ性」もどんどん膨張していったのです。

 

そりゃそうですよ、人気絶頂期にコンサート活動とレコーディングを一切休止すれば、彼を十代の代弁者としてカリスマ視していたファン達の見たいけど見られない、会いたいけど会えないという欲求がどんどん膨らんで、その過去のイメージだけがどんどん一人歩きし巨大な「カリスマ・イメージ」を創り出したのですから。もはや神という存在の域にまで達していたと思います。

 

そのことも「神」ではなく一人の「人間」であるはずの尾崎を、苦しめていたのではないでしょうか。もはや埋めることも出来なくなった創り出された巨大な「カリスマ・イメージ」と、ちっぽけな「自分という存在」とのギャップに・・・。

 

尾崎は翌年1987年12月22日に覚醒剤取締法違反で逮捕されるわけですが、全てが線としてつながっているとオレは思いますね。若くしてカリスマになってしまった重圧に彼は押し潰されたのではないかな。

 

さて、そろそろこのDVDのことについて戻りましょうか! 衝撃のデビュー曲「十七歳の地図」から大ヒット曲「卒業」・・・そしてそして最後は名曲「I LOVE YOU」でしめるという黄金の選曲です。尾崎は残念ながら亡くなってしまいましたが、現在でもその魂はこのDVD作品の中で生きてます!! 今夜これ見て思う存分心震わせてください!!