ビリー・ジョエルといえばポップス界では既に大御所的存在といってもよい。グラミー賞受賞などの輝かしい経歴。また旧ソビエトにおいてコンサートを行うなど世界中にその名を知らしめたミュージシャンである。
彼はニューヨークで生まれ育った生粋のニューヨークっ子だ。幼少の頃よりクラッシック家の父親のもと、音楽の英才教育を受けつつも、ニューヨークという様々な音楽が交差する場所で育った彼のからだには、あらゆるジャンルの音がさも血液のごとく流れている。彼は音楽家として必要なものをすべて身につけてきた。そしてアルバム「ストレンジャー」で世界的なミュージシャンの仲間入りを果たした。なるべくしてなった、そう言っても言い過ぎではない。
が、そんな彼にも人知れず苦労した時代があった。愛するニューヨークを離れ、遠いロサンゼルスで彼は音楽生活を送った。そして彼は一曲の歌を作った。「ピアノマン」。バーの片隅でいつものようにピアノに向かい歌う、彼自身の姿そのものを歌った曲だ。
そしてそののち、時代は彼を受け入れた。ミュージシャン・ビリー・ジョエルを世界が受け入れたのだ。彼は自分の持っているすべてを音楽にぶつけ、そして自らの音楽を探し続けた。
ニューヨーク・ヤンキー・スタジアム。大リーグ、ニューヨーク・ヤンキースの本拠地。ニューヨークに生まれ育った者には誇りといえる球場である。もちろんビリー・ジョエルもその一人だ。彼はヤンキースが大好きなのだ。たぶん音楽を始めだした頃よりこの球場で歌うことをずっと夢見続けてきたに違いない。
にもかかわらず彼はこの場所で歌わなかった。既にニューヨークに戻って音楽活動をしている。何度も賞を受賞し、ツアーとなれば遥か遠い国々でいく度となく歌っている。世界中で、あらゆる場所でコンサートをしてきた。その彼を知る人ならばどうしても立ってほしいステージなのだ。
が、ついに彼はヤンキー・スタジアムに立った。ニューヨークを愛し、またニューヨークの人々から愛され続けてきたビリー・ジョエル。音楽にのめり込み、苦悩の日々を乗り越え、そして世界の舞台に駆け昇ったビリー・ジョエル。その彼が最も望んできたであろうステージ。ニューヨーク・ヤンキー・スタジアムのステージに立ったのだ。
観客数5万5千人。彼は歌った。観衆も歌った。生涯で最高の瞬間だったかもしれない。そしてコンサートの最後の曲が始まった。ピアノの前奏を弾きハーモニカを吹いた瞬間、スタジアムが揺れ動いた。観衆がいっせいに叫んだ。「ピアノマン」だ。ロサンゼルスのバーで歌った「ピアノマン」だ。ファンが望み続けてきたヤンキー・スタジアムのステージで、そしてこの場所で彼に最も歌ってほしい曲、「ピアノマン」を歌い出したのだ。
1974年アルバム「ピアノマン」発表。そして1990年ニューヨーク・ヤンキー・スタジアムでのコンサート。ビリー・ジョエル41才の初夏のある一日のことである。
〜written by 音楽ライター伊吹 穂南 〜
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