★TAKUYA(元ジュディマリ)ライブレポート
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TAKUYA「ただいま」 02’9/11 渋谷クワトロ ライブレポート
今TAKUYAを語る上で、「JUDY AND
MARY」の話は避けて通れないのかも知れない。もしかしたらこれからも、ずっとそうなのかも知れない。
それくらい「JUDY〜」というバンドが残したものは大きい。
もちろん最初から、その偉大なバンドの存在を避けて通る必要性など無いのかも知れない。しかし彼を一人のアーティストとして捉えた時、「元ジュディマリのギターの人」などというカテゴリーは、あまりに小さすぎるのだ。
人は、ある一人の人間と対峙したときに、少なからず何かを感じている。
「好き」や「嫌い」という根本的な感情から、「その表情だけは好きになれない」とか「よく知らないはずなのにどこか懐かしい」など、感想は複雑だ。
もちろんTAKUYAというアーティストに魅力を感じるか否かは、各個人に委ねられた部分であるが、彼は確かに何かを表現し、何かを伝え、何かを創造する為に、この日クワトロにやってきて、そしてこの日、会場にいた人達が対峙したTAKUYAという一人のアーティストは、間違いなく人々の心に降り立った。
オープニングアクトが終了し、暗闇の中、ステージ上に現れた彼を見たときから、すでに皆興奮を抑えられずに、1秒でも早く彼の声、彼の音楽を欲していた。だからその思いを声に変え、いつしか場内にはただそれだけの感情が埋め尽くした。
やがて沸き上がる歓声を、「シーッ」と言って鎮めた彼の人差し指が口元から離れた瞬間、会場に音楽が流れ出した。
「ただいま」というイベント名だけあり、日本に戻りステージに立つのは、とても久しぶりの様だった。会場に詰めかけたファンは、待ちに待っていたTAKUYAの新曲を、そしてそのステージを、進行形で叶っている願いの存在に気付かないほど貪欲に見つめていた。
TAKUYAの歌声は面白い。ふざけているわけでもなく、かといって大真面目というわけでもなく。そして言葉の節々に存在した息づかいまで、その楽曲の一部になっているかの様な表現力。
「歌唱力」という言葉を使うのならば、昔聴いたCDのそれより確かに増したのかも知れないが、相変わらず聴いている人の耳に、どこか変化球の様に届いたあの歌声には、そんな言葉は教科書の中の話でしかない。
TAKUYAのギターは類を見ない。とても特殊なギター弾きの一人だろうと考える。彼が紡ぎ出す音。ギターという、どこにでもある楽器から出てくる、どこにもない音。ギターという、有名な楽器から出てくる無名の音。それが人の心を掴んで放さない。ギターを弾く姿。その指先。観客に映る、それら全ての要素が、どこか浮き出て見える不思議。見たことがなく、聴いたこともない。似た光景、似た音色があったとしても、記憶の中にはそれがない。そう思わせられる。
実際、昔バンドをやっていた友達の言葉を借りるならば、「コピーしたくても出来ない」。弾いているフレーズは特別難しくないとしても、なぜか弾けない事が多い。
それが直接、魅力に繋がるのかは別としても、でも確かにそれは存在していた。
今TAKUYAを語る上で、「JUDY AND
MARY」の話は避けて通れないのかも知れない。もしかしたらこれからも、ずっとそうなのかも知れない。
しかしこの日、彼は一人のアーティストとして、僕らの目の前に立っていた。
そしてこの日、会場にいた人達が対峙し、拍手を送ったTAKUYAという一人のアーティストは、間違いなく人々の心に降り立ったのだ。
〜written by 音楽ライターお茶の葉
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