◆「ライブ'88
〜夜のシミュレーション・ サントリーホール / 井上陽水」解説
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●ビデオインナーより
『井上陽水を見る』 黒田恭一
ひところ、テレビをつけるたびに、井上陽水が、あの特徴ある照れ笑いをうかべつつ、「お元気ですか?」、といっていた。声をかけられて、挨拶をかえさないのは、無粋である。それで、ぼくは元気です、とハガキを書いた。しばらくして、返事がきた。そのハガキの文面によれば、彼は、イギリスとスペインにいっていて、帰ってきたばかりのようであった。おそらく、彼も、留守をしている間に件のセリフがなくなっているのをしって、さぞびっくりしたことであろう。
それにしても、なにが目的で、彼はイギリスやスペインにでかけたのであろうか。理由は簡単である。彼は「お元気ですか?」のコマーシャルをみたくなかったのである。
よくしられていることであるが、井上陽水は大のテレビ好きである。テレビをみて、彼のことばをかりていえば、「マン・ウォッチング」を楽しむのである。しかし、「マン・ウォッチング」を楽しもうとテレビをつけると、「お元気ですか?」がとびだしてくる。井上陽水にとってのブラウン管は、その途端に、鏡にかわる。鏡の自分にうっとりみとれるタイプの人間もいれば、できることなら鏡をみないですごしたいと思う人間も一方にいる。井上陽水は(多分)後者のタイプの人間である。そのような男にとって、「お元気ですか?」は、はなはだ辛かった。それで、彼は外国に逃げた。
鏡の自分にうっとりみとれるようなタイプの人間であれば、他人にみられることも大好きである。歌ったり演じたりして舞台で仕事をする人たちの多くは、きっと、たくさんの人たちにみられることに快感を感じているはずである。しかし、われらの井上陽水は、不幸にして、舞台で仕事をつづけているにもかかわらず、いまだに、みられることになじめないである。
詩人としても、作曲家としても、歌い手としても、それにむろん人間としても、井上陽水は超一流であるが、しかし、舞台にたってたくさんの人にみられるということへの対応のしかたにかぎっていえば、井上陽水は、学芸会に出演する小学生にもおよばない。そのような井上陽水が、こともあろうにサントリーホールでコンサートをおこない、しかもそれをビデオにおさめた。これは、さしずめ、学芸会に出演してセリフを忘れ、やむをえず素っ裸になって舞台を走りまわる小学生の快挙にたとえられる。
サントリーホールは筋金入りのナルシストである指揮者カラヤンのアドヴァイスをいれてつくられただけのことはあって、その舞台に立つ人は四方からみられることを宿命づけられている。「お元気ですか?」をみるのにたえられず外国に逃げるような男が、なにを血迷ったか、よりによって、そのようなサントリーホールを選んでコンサートをおこなったあげく、それをビデオにおさめて、ぼくらにみせてくれようと考えた。その結果できあがったのが、このビデオである。
ビデオは、あらためていうまでもなく、みるためのものである。したがって、このビデオで、ぼくらは、井上陽水をしかとみる。向こうがみせたがっている顔であろうとなんであろうと、そういうものをみるほど白々しいこともない。幸い、このビデオの主人公は、「お元気ですか?」をみるのにたえられず外国に逃げる男である。しかも、井上陽水は、嘘をつけない、正直な男である。すべてが、その表情にでる。ここでは、隠れようとする井上陽水と、そうもしていられないと思う井上陽水が綱引きしている。そのために、このビデオは、スターをとらえたありきたりのビデオをこえて、ドラマティックなものとなりえた。
みればみたで、いろいろのことがわかる。みられることの辛さをふりきって、井上陽水が次第に熱気をたかめていって走る、その過程を、ぼくらはここでつぶさにみることができる。そのようにして目が楽しみ、同時に、どれもこれも、なんていい歌なんだ、と耳が喜ぶ。
ラリー・コリエル、鈴木茂、浜口茂外也、六土開正、中西康晴、川島裕二、といった最強の、しかも絶好のバックをえたためもあって、それぞれの歌は、その歌としての広がりと深みを、いつになくましている。そのようなとびきりの音楽が、学芸会に出演する小学生にもおよばないような男によってもたらされている、というこの不思議こそが、井上陽水流マジックである。
ほんの2,3回、まばたきをしたと思ったら、この1時間半以上にもおよぶビデオが終わっていた。内容の濃いビデオほど、視聴している時の時間の経過がはやい。そして、その間に、ぼくは、不覚にも、まばたきをしたのと同じ回数だけ、「海へ来なさい」の井上陽水を満足させるほど「しなやかな指」ではなかったが、涙をぬぐった。映像にしろ音声にしろ、それをとった人の被写体への気持ちを隠しきれない。ぼくの涙は、おそらく、そのことに関係した。
ぼくは井上陽水が好きである。しかし、個々で映像と音声のディレクションを担当した人は、ぼく以上に井上陽水が好きである。映像と音声が、そのことを語っている。個々での映像にしても音声にしても、いささかの衒いもなく、むしろ淡々としたといえるような感じで、うたう井上陽水をとらえている。なぜ、彼らにそのようなことができたのかといえば、それは、彼らが、井上陽水の音楽を信じ、井上陽水という男を信じられたからである。 そこで、ぼくは、井上陽水はそっちのけにして、このひとことを、スタッフのみなさんにいわないと、気がすまない。こんなに素敵なビデオをつくってくれて、どうもありがとう!
●CAST
YOSUI INOUE(Vo/ AG/ EG)
SHIGERU SUZUKI(AG/ EG)
MOTOYA HAMAGUCHI(Per)
YUJI KAWASHIMA(APf/ EPf)
HARUYOSHI ROKUDO(EB)
LARRY CORYELL(AG/ EG)
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