◆「THE ALFEE in 激突 /
アルフィー」解説 〜
『戦闘! 爆発! 対決!
まさに「激突」というタイトル通りのこの超娯楽アクション時代劇は、スリリングな場面の連続!
本当に見る人を楽しませてくれる。主題歌はTHE ALFEE。
そのTHE
ALFEEが、この映画のハイライトシーンに彼らの1988年夏のイベント「4
ACCESS
AREA」のライブ映像を加え、そして映画の製作風景、レコーディング風景、さらには高見沢俊彦がこの映画プロモーション用として特別に天草四郎に扮した未公開フィルムを収録。
まさにロックと時代劇の激突!
を映像で表した画期的なビデオがここに出現!! 』
●「激突」ストーリー
-将軍家光のの乱心-
将軍の子竹千代を幕府の刺客団が襲った。
だが、竹千代の身辺には、おもわぬ凄腕の浪人達が護衛役として付いていた。竹千代を預かる佐倉藩藩主・堀田正盛が、今日あることを予測して雇った、石河刑部(緒形
拳)を長とする戦闘無頼の七人の男達である。彼等の働きで刺客団は一人残らず斬り伏せ、事無きを得た。しかし正盛は、いよいよ藩の運命を賭けた、重大な決意をする時がきたと、深い吐息をするのだった。
事の発端は、最近持ち上がった次期将軍継承問題にある。本来ならば、将軍家光の長男である竹千代がその当事者で、何の騒動も起こらぬ筈であった。
だが、竹千代は、父家光から極度に嫌われていた。性癖が病的なまでに偏執な家光は、性格も容貌も自分に似ていないことだけで、竹千代を佐倉藩に預けたまま、親としての愛は一片も注がず、次男徳松を異常なまでに溺愛していた。
老中・阿部対馬守は、家光の命には絶対逆わぬ男であった。それを臣下の道と固く信じていた。竹千代を斬れと言われれば、黙ってそれに従う男であった。
その対馬守が正盛の元へ乗り込んできた。
竹千代の元服式を行うので至急江戸城に出任せよというのだ。これは将軍命であった。
対馬守の側に、一人の眼光鋭い武士が控えていた。これが、幕閣随一の使い手と噂の伊庭庄左衛門(千葉真一)であった。正盛側に座す刑部との間に凄まじいまでの殺気が走った。
この命令は、幕府の陰謀であることは明らかであった。江戸迄の道中、何処かで竹千代を襲う魂胆である。江戸行き反対の声もあったが、正盛は決心した。将軍の命令には逆らえない。期日まで後五日しかなかった。
万全の体勢を整え、翌朝、竹千代一行は出発した。正盛自ら陣頭指揮に立った。従うのは、正盛の子息・正俊、竹千代の乳母八島局、そして多くの佐倉藩士、石河刑部等七人の戦闘隊は、常に竹千代の側近くにいた。
幕府方の攻撃は最早、明からさまになった。
竹千代の本陣を伊庭庄左衛門率いる大軍が襲った。あまりにも無法な仕打ちに、正盛は激怒し、自ら槍をふるい雑兵どもをなぎ倒した。その身を犠牲にして竹千代を逃がすのだった。
竹千代は浪人の一人に背負われていた。この少年の周りには、七人の浪人と正俊、矢島局だけになっていた。一行は雨中、夜の山道を走っていた。
この敵の重囲を突破するには、足尾銅山を襲い、馬を奪って逃げるしかない。それが、刑部達の出した結論であった。
だが、思わぬ事が起きた。刑部達が山中で逃げ道を探索中、雨でずぶ濡れになった竹千代の着物を乾かそうと矢島が火を起こした。
その煙が敵の眼に入った。竹千代、矢島、正俊の三人は銅山の地下牢に囚われた。
伊庭の敵意は、今や、七人の浪人達に向けられていた。大々的な山狩り隊が山中に放たれた。
一方、浪人の一人、伝右衛門が闇にまぎれて牢内に忍び込んだ。刑部達も奇襲戦法で地下に潜入した。囚われた三人は救い出した。
そして爆薬を仕掛けて地下牢を吹き飛ばした。
竹千代の様子がおかしくなっていた。口もほとんどきかず、表情がうつろになっている。
子供心にも、我が身の置かれている分かっていた。自分をめぐって大勢の人が戦い死んでいく。それを仕掛けているのは父なのだ。自分さえいなければ・・・そこまで考えた時、竹千代から自我の念が消えた。
刑部達は、元々金で雇われた用心棒だった。
だが、今度だけは徹底的に戦ってやろうと決心していた。刑部の心は、老中・対馬守を一目見た時から決まった。刑部と対馬守は、その昔義兄弟の中であった。刑部の妻・お万は対馬守の妹で、仲の良い夫婦であった。だが、お万の美貌が禍した。家光が目をつけたのだ。早速、大奥に上げろと言う命令が対馬守に下った。対馬守は主命としてそれに応じた。刑部とお万は生木を引き裂かれるように引き離された。対馬守は、これがきっかけで、家光に気に入られひたすら出世の道を歩む。刑部の姿が家中から消えた。十五年前のことである。お万は今でも家光の愛妾として大奥にいる。刑部の胸中は、昔からの郎党である多賀屋六兵衛だげが知っていた。竹千代が不憫でならなかった。幼い命を犠牲にしてでも、その野望をなしとげようとする幕府権力に怒りを感じていた。
石河刑部、多賀屋六兵衛、土門源三郎、砥部左平次、猪子甚五右衛門、郡伝右衛門、祖父江伊織、彼等は戦いこそ生き甲斐であった。
山中のそこここで、凄まじいゲリラ戦が展開した。七人の男達の戦法は、まさに一人十殺の斬り込みであった・・・。
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