◆「OZAKI LAST TEENAGE APPEARANCE /
尾崎豊」解説 〜
このビデオは1985年11月15日に行われた代々木オリンピックプールでのライブを収めたものです。11月14、15日の2デイズライブだったのですが、なんとこの2日間で2万6千人を動員!! 凄いですね〜、まだデビューしてから2年経ってないんですよ。まさにうなぎ登りの人気を獲得していき、若者の「代弁者」として全国に熱烈な「尾崎信者」を増やしていったわけですよ。
足跡をたどると同年1月21日に発売された 12インチシングル「卒業」はオリコンチャート初登場20位を獲得、そして同じく3月21日に発売されたセカンドアルバム「回帰線」は、いきなりオリコンチャート初登場1位を獲得するという超人気急上昇ぶり!! この時点で確実に支持されるアーティストに変貌しましたね。そしてその「回帰線」を引っさげて回った"Tropic
of
Graduation"ツアー・ファイナル、8月25日大阪球場ではなんとなんと2万人にも及ぶ観客を動員したのだった!!
そしてその直後に始まった尾崎十代最後ツアー「LAST TEENAGE
APPEARANCE」のハイライトがこの代々木オリンピックプールライブなんですよ。今から思えば尾崎のアーティスト人生の中で一番勢いがあった時期が、この頃なんじゃないかなとオレは思う。やはり「学校」や「教室」などをテーマにした十代が最も共感できる歌を歌っていたわけですから、二十歳を過ぎればどうしても歌にリアリティーが失われるんですよ。等身大のメッセージが響かなくなるんです・・・。
その後11月28日、尾崎二十歳の誕生日にサードアルバム「壊れた扉から」を発売し、翌1986年1月1日福岡国際センターのライブを最後に、尾崎は無期限の休業宣言をするのです。その後単身ニューヨークへ旅立ち充電期間を送るわけですが、その期間尾崎は極度のスランプに陥りました。要するに曲が書けなくなったのです。
う〜ん、これも分かりますよね。これまで自分が十代に感じたことをそのまま「歌」にぶつけ、ファンに圧倒的な共感を与えて来たのですが、二十代を過ぎれば過去に感じた「素直な気持ち」を、直接的なメッセージとしてファンに投げつけられなくなったと思います。若いファン達が自分の「代弁者」として尾崎に求めているもの、そしてその巨大に膨れあがった偶像のようなカリスマとしてのイメージ・・・・・そんなファンの求めているものに、尾崎自身が素直に応えられなくなったのだと思いますね。なぜならもう十代を過ぎてしまったのだから!
その二十代になってしまった自分と、代弁者として尾崎を見るファンとの気持ちのズレが、その後の「覚醒剤での逮捕」につながって行ったのではないでしょうか。ニューヨークでの充電期間中はボロボロ状態だったと聞きます。まさに若きカリスマの悲劇としかいいようがないですね。
それに彼が不在の間も、ファンの尾崎熱は冷めることなどなく熱くなる一方!! 尾崎待望の声が全国各地で聞かれましたね。オレもその一人です(笑) その尾崎不在の期間も尾崎伝説の噂が噂を呼び、新しいファンがどんどんどんどん増えていきましたね。それまで残した3枚のアルバムが確実に思春期のファンを増殖させていったのです。またそればかりではなく、1986年1月14日にはフジテレビ系列にてこの85年代々木オリンピックプールでのライブを収録した「早すぎる伝説」が放送されました。オレも見ましたよ〜。当時尾崎のビデオも出てなかったので、そのテレビ放送を見た時はあまりにも衝撃が強すぎて鳥肌が立ちましたよ。「ス・スゴイ!!」まさにこの一言。心にグッと来るものがありました。その放送をビデオに撮って後で友達に回したら、みんな尾崎の虜になってしまいましたね(笑) 十代のカリスマの威力は凄かったですよ〜ホント。もちろんオレの高校生の時です。
そしてその「早すぎる伝説」の放送があまりにも反響が大きくなり過ぎ、全国各地で再放送の声がテレビ局に殺到!! そのため同年3月25日に「早すぎる伝説」が全国で再放送されたのです。まさに異例中の異例のことなので、それだけ見ても尾崎人気の凄まじさが分かりますよね。
充電中の尾崎はかなりのプレッシャーを感じていたのではないでしょうか。復活する時はより凄いものをファンに提示しなければならないというプレッシャーを・・・。しかしもう十代ではない尾崎は、ファンとのズレを埋めることもできずにもがき苦しんでいたのでしょう。そして1986年5月に単身ニューヨークへ飛び立ちましたが、きっと自分の現状を変えたかったのではないのかな。ズレを埋めたい、その一心だったと思います。異国の地に行けばきっと何かが変わると信じて・・・。しかしここでもスランプという最悪の状態が彼を襲ったのであった。
一方日本では彼がニューヨークで苦しんでいるのに反して、ますます尾崎人気が過熱の一途をたどる。同年7月にはフィルムコンサート「もっともっと速く!」が全国100ケ所にて開催され、これがなんと20万人を動員!! 尾崎のいないフィルム(過去のライブ映像)でのコンサートにも関わらずですよ! 凄すぎですよね。
そして7月21日にはビデオ「6PIECES OF
STORY」発売、8月21日には単行本「失した1/2」発売され本人がいないところで「尾崎伝説」人気は爆発しました。尾崎待望論は日に日に大きくなり、それと同時に「カリスマ性」もどんどん膨張していったのです。そりゃそうですよ、人気絶頂期にコンサート活動とレコーディングを一切休止すれば、彼を十代の代弁者としてカリスマ視していたファン達の見たいけど見られない、会いたいけど会えないという欲求がどんどん膨らんで、その過去のイメージだけがどんどん一人歩きし巨大な「カリスマ・イメージ」を創り出したのですから。もはや神という存在の域にまで達していたと思います。
そのことも「神」ではなく一人の「人間」であるはずの尾崎を、苦しめていたのではないでしょうか。もはや埋めることも出来なくなった創り出された巨大な「カリスマ・イメージ」と、ちっぽけな「自分という存在」とのギャップに・・・。
尾崎は翌年1987年12月22日に覚醒剤取締法違反で逮捕されるわけですが、全てが線としてつながっているとオレは思いますね。若くしてカリスマになってしまった重圧に彼は押し潰されたのではないでしょうか。
さて、そろそろこのビデオのことについて戻りましょうか(笑) この11月15日に行われた代々木オリンピックプールでのライブは、その2日間で2万6千人動員という熱狂のステージに、当時音楽評論家達は尾崎のことを、宗教家のようであると批判的見解を述べていましたね。尾崎信者がこれほど多数詰めかけたのですからしょうがないでしょう。この日から尾崎は確実に「神格化」したと言っても過言ではありません!
そんな凄過ぎるライブを収録したものが、このビデオ「OZAKI
LAST TEENAGE
APPEARANCE」なのです。その当時の熱さは今でも色褪せることなく、このフィルムの中に全て詰め込まれていますね。そう・・・まさに尾崎絶頂期を時代を超えて体感できるんですよ!!
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