◆「ONE × ONE /
チャゲ&飛鳥」解説 〜
●ビデオインナーより
『それぞれのソロ活動からCHAGE&ASKAへ「ONE ×
ONE」はふたりの2年間の活動を追ったリアリティーあふれるドキュメント映像である。』
デビューして今年で20周年を迎えるCHAGE&ASKA。いわゆる"ドキュメントもの"と言われる映像はいくつかの節目の年に制作され、そのたびにテレビで放映されてきた。デビューから現在に至るまでの歩みであったり、ツアーを追ったものであったりと内容は多岐に渡っていたが、どの映像にも必ず組み込まれていたのが、デビュー年数、シングル、アルバムの売上枚数、ツアーの規模や動員数などだった。彼らの功績を語ることにより、テレビ放映に不可欠な"誰が見てもわかる"作りに徹底されていた。
同じドキュメント映像であっても、『ONE×ONE』はそれらとは毛色がまったく違う。CHAGEとASKAの音楽が生まれる瞬間に焦点を当て、ものが完成されていく過程をそのまま記録している。過去に放映されてきたものに比べると、映像としての華やかさはなく、ドラマチックな展開も皆無だ。しかし、『ONE×ONE』の中では、CHAGEとASKAの小さな表情の変化こそが、まさに音楽が生まれるその瞬間であり、そこが大きな見せ場になっているのである。
カメラは2年前の'97年からCHAGE&ASKAを追い始めている。監督の今井は、CHAGEのコンサートビデオ『Oki
doki!
BOOTLEG』、ASKAコンサート『ID』の記録本『三人のASKA』の制作スタッフに係わっていた。つまり、彼らのソロワークを、ある時は映像の監督として、あるときはスチールカメラマン、ライターとして、ずっと追いつづけていたスタッフのひとりでもあった。「これからは、CHAGE&ASKAの、もっと深いところを撮影してみたい」。今井をそう思わせた大きなきっかけは、ASKAソロコンサート『ID』の上海公演だった。「アンコールでCHAGEさんが登場してふたりがステージに並んだとき、この人たちやっぱすげえやって思った。これは『三人のASKA』でも書いたんだけど、ひとりだと見える視界が45度くらいだとすると、ふたり揃うと視界が一気に360度に拡大する。このすごさはいったいどこからくるんだ?それを追求してみたくなったんだ」
『ID』ツアー終了後、CHAGE&ASKAに向けて曲作りが行われた。カメラはさっそくASKAのプライベートスタジオに入り、CHAGE&ASKAとしての楽曲を制作しているASKAを記録しはじめた。当初『ONE×ONE』はふたりの曲作りからレコーディング、ツアーリハーサルまでを撮り続け、翌年に当たる'98年に予定されていたCHAGE&ASKAのツアー前には、ファンクラブ会員に向けて映画の上映会という形で発表される予定だった。しかし、途中で予期せぬことが起こる。CHAGE&ASKA活動延期、ソロ活動の続行である。CHAGE&ASKAを待っているファンに向けてのドキュメント映像であったために、即刻映画上映会は中止になった。同時に撮影自体を中止するか否かの選択も余儀なくされた。
「このままそれぞれのソロ活動を撮りつづけてほしい」。
そうリクエストしたのは当のCHAGEとASKAだった。どういう形で発表できるか具体的なアイディアはその時点では誰ももっていなかった。でもとにかく撮りつづけてほしいというCHAGEとASKAの意志を受け、撮影は続行されることになった。「多くのみなさんと同じように、CHAGE&ASKAの活動を待ちわびていたひとりとして、活動延期の発表は正直言って気持ちがトーンダウンしたところもあった。でも、ふたりの熱意を受けて、だったらソロ活動を追ってみようと思った。あの時点では、どういうものが撮れるのか想像ができなかったけど」
・・・「今後のCHAGE&ASKAのために、今ソロ活動が必要なんだ」。
インタビュー中に出てきた彼らのこの言葉をヒントに、監督は『ONE×ONE』のコンセプトを"CHAGE&ASKAのすごさ"から、"CHAGE&ASKAに向かっていくCHAGE,
ASKAのすごさ"の追求に切り換えた。
曲作り、レコーディング、ツアー制作など、それぞれのソロ活動を追っていくうちに、「すごい」と感じた源がわかってきた。CHAGEとASKAがソロ活動を通してやりたかったこともはっきりと見えてきた。また、CHAGEやASKAがソロ活動に夢中になり、世間的にはCHAGE&ASKAから目を逸らしているように見えていたときでも、相棒のことがどうしようもなく気になるふたりもいて、やはりCHAGE&ASKAに向かっていこうとしているふたりが確認できた。2年という歳月のなかで散りばめられていたこれらのCHAGEとASKAの思いは、監督の目線を通して随時カメラに記録されていった。
「レコーディングにしてもコンサートの構成にしても、ふたりとも髪の毛一本のこだわりを見せる。例えばレコーディングなら、歌入れが終了して全部終わりましたって言ってたと思ったら、翌日にはやっぱり歌詞を変えたいって言ってきたり。時間がなかろうが、納得するまでは彼らは絶対に妥協しない。そういう場に出くわすたびに、いちいち納得していたような気がする」
今何もなくても、5秒後には何かがやってくるかもしれない。CHAGE,
ASKAから生まれた1音をめぐっての喜び、葛藤、苦悩・・・。そこに付随する彼らの些細な表情の変化を収めるために、カメラは無駄を承知で延々と回りつづけた。
「音楽が生まれる瞬間から、それを形にしていくこだわりの過程をリアルに撮っていきたくて、とにかくずっとカメラを回していた」
2年間に渡って撮影されたビデオテープは軽く300本を越えた。60分テープで18000分、750時間分のテープが回された計算になる。
レコーディングが遅々として進まず、スタジオがレコーディング関係者以外を人払いするものだ。とくにカメラマンがいると、気が散る、集中できないなどの理由で、カメラマンはまっさきに人払いさせられる。
「でも、そういうスリリングな瞬間こそが求められているものだったから、何があってもカメラを持って居続けた。カメラって異質なものだから、持っているだけでみんなかまえてしまう。何度この目がカメラだったらって思ったことか。今、自分が見ているシーンがそのまま映像になればどんなにいいだろうっていつも思っていた」
そうは言うものの、監督には「存在を消す」という特技があった。スチールカメラを持っていようが、ビデオカメラを持っていようが、彼はその場の空気に溶け込んで存在を消してしまう。「おまえだったらスタジオにいてもいいよ」とCHAGEやASKAに言わせ、だからこそ、かまえないふたりとリアルなシーンを収めることができたわけである。
『ONE×ONE』はASKAのレコーディングからはじまり、CHAGEのツアー終了後で終わる。しかし、それぞれのソロ活動の隠れたエピソードを「見て知る」だけのドキュメント映像ではない。「リアルさ」を追求した数々のシーンにより、CHAGEとASKAとともにその場の空気を感じながら、音楽がやってくる瞬間を「体験できる」ドキュメント映像だ。また、映像に記録された個々のソロワークは、それぞれがひとりひとりの確立したアーティストであり、「CHAGE&ASKA」は実は「CHAGE」と「ASKA」というえ異なる
個性の集合体であるという当たり前のことを、なによりも強く訴えているのである。
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