◆「1996年、秋 / 吉田拓郎」解説
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●ビデオライナーより〜
今これを手にしている人は、もうビデオを見た人かこれから見ようとしているか、そのどちらかになるだろう。
もうすでに見終わった人はきっとそういう印象をもっているのだと思うが、このビデオは、今までの拓郎のビデオとは、かなり質が違う。それだけではない、音楽ビデオ一般として見ても、かなり、際立っているのではないだろうか。
これから見るという人は、取り合えずテープをセットして、最初の数分だけでもプレイしてみると良いだろう。それだけでもこのビデオの特徴を感じ取る事が出来るはずだ。
ファーストシーンはモノクロの画面で始まる。決して鮮明とは言い難い画像が夫々の心の中、記憶の中の拓郎を写し出しているようだ。サングラスを掛けた横顔。神経は画面では見えないステージに向けられている。ベースの音が左側から流れている。客席に座ってリハーサル中のバンドの音をチェックしているというシーンはすぐに、次の画面に変わって行く。
オープニングの数分間だけでこのビデオがいわゆるライブビデオでも、ツアーの模様を収めたドキュメンタリービデオでもないことに気づくだろう。中央が円状になった魚眼レンズがリハーサルの会場を捕らえている。まるで不思議なレンズで覗いているように感じさせる。
カメラがコンサートツアーに同行してツアー中の様々な出来事を記録する。それ自体はもう珍しいものではない。でも、このビデオは、それだけではない。撮影に使われたテープが3畳間に一杯になったという膨大な量の中から選別された画像が絶え間なくく挿入される。時にはモノクロで、時には魚眼レンズで、時には、ハレーションを起こしたような鮮烈なトーンで、次々に登場する。そのテンポは早い。演奏を中断して画面が変わる事すらある。いわゆるドキュメンタリー的な起承転結や説明はない。ただ漫然とライブを写し続けたものでもない。瞬間的な映像の積み重ねと、どこか架空のステージすら見える深みのあるライブ映像が、雄弁に、幻想的に、そして、抒情的に、吉田拓郎の'96年秋を切り取っていく。
このビデオの中にはこれまで目にしたことのない吉田拓郎がいるはずだ・・・・。
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