◆「レジェンド・オブ・ニルヴァーナ
〜カート・コバーンに捧ぐ / ニルヴァーナ」解説
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●ビデオインナーより
『メンバー、スタッフ等の貴重なインタヴューで綴るニルヴァーナ伝説。』
「本作品中において、ニルヴァーナの音楽は、一切使われていないことを、あらかじめお断りしておきます」・・・・。
冒頭、画面へ映し出される上記のようなコメントが、この『TEEN
SPIRIT 〜THE TRIBUTE TO KURT
COBAIN』と題されたヴィデオ・プログラムの立場を何より明瞭に示している。制作者側としても、こういった主旨の作品を作るのであれば、本来ならニルヴァーナの演奏シーンを、たとえほんの僅かでも入れたかったろうし、せめてそのレコーディング音源を映像のバックに流すくらいはどうにか実現したかったであろうことは想像に難しくない。しかし、最終的に楽曲の使用許可は下りなかったようだ。このヴィデオの制作元が、ニルヴァーナの所属していたゲフィン・レコードでないことからも察せられるように、これは、すでに亡きバンドとなってしまったニルヴァーナの発掘アイテムの類ではない。あくまで、ニルヴァーナとカート・コーバンを未だに愛してやまぬ人たちによる「トリビュート作品」なのである。
本作は、基本的に当時の関係者やファンの証言と、ニルヴァーナの地元だったアバティーンやシアトル現地の風景などによって構成されている。ニルヴァーナのメンバー自身の姿も、画面に全く出てこなくはないが、現在のクリス・ノヴォゼリッチやデイヴ・グロール、あるいはコートニー・ラヴといった人々が、今になってニルヴァーナについてそう簡単に口を開くはずもなく、ここに出てくるのは当時のインタビュー映像が3パターンだけだ。そのうちの2つ、1.「カートの『そこへレモンをひと搾り!』という気の利いたコメントが印象的な、ヨーロッパのTV用のもの」と、2.「湖をバックに、黒ぶち眼鏡をかけたカートが上着を頭に引っかけてジャミラ状態になっているもの」に関しては、すでにゲフィンから発売されたヴィデオ作品『ライヴ!
トゥナイト! ソールド・アウト!
』にも収録されている。ただし、もうひとつの「カートが愛娘フランシス・ビーン・コーバンを抱えながらインタビューに応じているもの」に関しては、作品化は今回が初めてだろう。邪推だが、カート亡き後、クリスとデイヴの二人が、可能な限り当初の意図通りに完成させたという『ライヴ!〜』には、コートニーへの気遣いが強く感じられる。フランシスが映っているこのインタビュー映像は、そのため『ライヴ!〜』では使用されなかったのではないだろうか。それがまたどういった経緯でもって、ここで使われることになったのか、その詳細は現時点では僕には分からない。しかし、いずれにせよ、この場面が本作中でも最も貴重度の高い映像であることは確かだ。
それにしても、メンバー自身の未公開映像がたった1シーンしかなく、しかもバックに流される音楽も全く別モノということになると、ニルヴァーナの未公開マテリアルに対してのみ期待を持っていたような方には、本作はあまり有り難みの無いものなのかもしれない。「ファンが勝手に喋っているのを見たところで、何になるってんだよ」という声が聞こえてきそうな気もする。しかし僕は、それでも、このようなヴィデオを作らずにはおれなかった制作者の気持ちが痛いほど分かってしまう。ここにあるのは、未だ衰えぬニルヴァーナ人気、カート・コバーン人気に便乗して一儲けしてやろう、という下司な商魂では決してなく、亡きカートへの真に切なる思いであると理解できるのだ。何故かと言えば、僕は『ロッキング・オン』というロック雑誌を作っている出版社で働いているのだが、カートの悲報が入ってきた直後、ニルヴァーナ唯一の公認バイオ本の日本語版(『病んだ魂〜ザ・ヒストリー・オブ・ニルヴァーナ』)を出版することに決めたとき、使命感などというのとはまた少し違う、とにかく理屈を越えた何かに駆られるように「そうしなければならない!」という心情にとらわれた経験が自身にもあるからだ。シアトル近郊に住むニルヴァーナのファンが、つき動かされるようにしてカートの追悼集会に集まったのと同じような、極めて純粋な動機が、このヴィデオを観ていると伝わってくる。だいいち、金儲けだけが目的で制作されたようなヴィデオならば、楽曲の使用許可が降りぬ段階で発売を断念しているだろう。この作品のいささか物足りなく感じられる部分は、逆にその誠実さの証明であると考えることもできる。
それに、収録曲に関しては、ショッキング・ブルーによる"ラヴ・バズ"のオリジナル・ヴァージョンがあったり、スクリーミング・トゥリーズのシンガーであるマーク・ラネガンのソロ・アルバム収録曲"ホエア・ディド・ユー・スリープ・ラスト・ナイト"(レッドベリーのカバーであるこの曲のレコーディングにはカートとクリスが参加しており、また、同曲はニルヴァーナの『MTVアンプラグド・イン・ニューヨーク』でも披露された、カートのフェバリット・ナンバーであることは御存知の通り)をとりあげたりと、ニルヴァーナのことを良く分かっている人間が、苦しいチョイスの中でも最善の選曲に務めていることが分かる。モノという無名のバンドによる演奏だが、誠実さが充分に感じられ、特に気に障わるようなことはまったくない。
ファン以外に、関係者として登場して発言する人たちは、『ヴィレッジ・ヴォイス』誌の編集者アン・パワーズや、サブ・ポップ・レコードの宣伝担当ニルス・バーンスタインなどがいるが、なかでも興味深く聞けるのは、ニルヴァーナをそのバンド活動のかなり初期から撮り続けてきたカメラマンのチャールズ・ピーターソンの話だ。『イン・ユーテロ』の裏ジャケットを撮影した時の珍しい写真なども見せてくれる。あなたが、「ただニルヴァーナの音楽だけ聴いていればいいんだ」という類のファンでなければ、この作品を観ることは決して時間の無駄ではないと思う。
前述の『病んだ魂』の第1章は、次のような書き出しではじめられている・・・。
ワシントン州アバティーン(人工6,600人)はシアトルからワシントン海岸を南西に108マイル下ったところに位置する。(中略)
高速道路から離れたこの町には、入ってくるものは何もなければ、出ていくものも殆どない。(中略)
当時の「娯楽活動」には、ボーリング、チェーンソー大会、ヴィデオ・アーケードが上げられている。(中略)
東側からアバディーンに入った者が最初に目にするのは、ウィシュカ川に面してだだっぴろく広がる醜いウェイヤーハウザー材木置き場だ。そこには、以前は立派な木であったはずの材木が、手足を切り落とされた殺戮の犠牲者のように積まれている。(中略)
林業がこの町を支えている。いや、かつては支えていた。このところずっと不景気が続き、レイオフのせいでアバディーンの町はゴースト・タウンと化している。(中略)
グレイス・ハーバー郡は国内で自殺率の最も高い地域の一つで、アル中がはびこり、何年も前からクラックも浸透している。
おそらく、このヴィデオの制作者も『病んだ魂』の原本を読み、参考にしたことは間違いない。冒頭部の映像は、この描写とほとんど完全に一致している。また、バンドを始めることによってある程度身を固めるまでのカートのメチャクチャに荒んだ生活を送っていた頃「よく橋の下で暮らしていた」というエピソードにインスパイアされた部分も、ヴィデオのエンディング部分に出てくる。このヴィデオの中で、ただダラダラと映し続けられる風景は、決して単に退屈な風景ではなく、かつてカートやクリスが見ていたのと同じ、退屈な風景であることに注意して欲しい。この映像を観てから、もう一度『病んだ魂』を読み返してもらえば、ニルヴァーナをとりまいていた環境を、より明瞭に感じ取ることが出来るはずだ。
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