◆「CBGB's 〜BLITZKRIEG BOP」解説
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●ビデオインナーより
(以下、解説より一部抜粋)
前置きが長くなってしまったが、作品のタイトルCBGB'sとは、もちろんマンハッタンのバワリー・ストリートにあるライヴ・クラブのこと。昼間でもあまり人通りはなく、空き家となった店なんかも多いから観光できたような人間が入り込む一角でもないが、そこにヒリー・クリスタルが1973年秋ライヴ・クラブをオープンした。店名は"Country,
Bluegrass, Blues, and other music for uplifting
gourmandizers"
(高ぶった大食漢たちのためのカントリー、ブルーグラス、ブルース、その他の音楽)という言葉の頭文字からとられた。入り口の上に"CBGB
OMGUG"
の文字が見え、店主のヒリーは主にカントリー・ミュージックのメッカとすることで成功をと期待したが、実際はすぐに界隈のアグレッシヴなミュージシャンたちの巣窟となっていった。
当時のことやクラブにまつわる、いまふりかえると愉快でどこか夢の中の出来事のような話は90年に翻訳出版された『CBGB伝説』(CBSソニー出版)に詳しい。詩人、ロックンローラー、破滅型、そして成功の野心を抱えた人間まで、ありとあらゆるミュージシャンたちが、まるで何本もの支流が河口に集まるようにCBGB'sには集まってきた。その中からラモーンズ、ブロンディ、デッド・ボーイズという、もっともクラブらしい、そして成功も収めた3グループが収録されている。今さらではあるが簡単に各バンドのプロフィールを紹介しておこう。
この10月にラスト・コンサートをやりに来日したラモーンズ。"最後"と言われてもあまり実感がわかないほど彼等の存在はパンクの歴史そのものでもある。74年の結成以来2分間のロックン・ロール・ビートとビーチ・ボーイズにも通じるポップさが混じったはじけるようなサウンドを聴かせ、世界中にラモーンズ・マニアを作り出してきた。
76年に『Ramones』でデビューを飾り、最新作の『アディオス・アミーゴ』まで数多くのアルバムを作り、ときに意欲的な試みをしながらも、ライヴは常にパンク魂の爆発するものだった。彼等ほどパンクスの声援を受け続け、そしてそれを裏切らなかったバンドはいない。そんな連中の、最も見たい70年代、しかもホントにホーム・グラウンドとしていたCBGB'sでのライヴだ。文句無く楽しい。こーいうのを理屈抜きに楽しめないんだったらロックなんて聞かない方がいい。
収録されているのは5曲。デビューアルバムのオープニングの栄誉をになった「ブリツクリーグ・ボップ」を先頭に、名作『ロケット・トゥ・ロシア』(サード・アルバム)の名演が忘れられない「シーナ・イズ・パンク・ロッカー」「クレティン・ホップ」「ロッカウェイ・ビーチ」、そしてセカンド・アルバム『リーヴ・ホーム』の「ピン・ヘッド・ラヴァー」と選曲も文句無い。まさに嵐の中心にいた彼等の語る話しも貴重だし、まだ少し痩せ気味のジョーイの姿等、どこを切っても77年という時代が詰まっている。
欲を言えばコメントもいいけどもっとライヴをと言いたいところだが、あまりぜいたくを言ってはいけない。とりあえず全盛の姿を目に焼き付けるべき。
「ハート・オブ・グラス」や「コール・ミー」のメガ・ヒットで当時は日本でも一躍人気者となり来日まで果たしたプロンディは、そうした成功してからの話ばかり持てはやされるが、もとをたどればCBGB'sで奮闘するローカル・グループだったし、のちにパティ・スミス・グループに移るアイヴァン・クラール(彼は映像作品『ブランク・ジェネレイション』の共同制作者でもある)が在籍したりと、ある意味ではシーンのまっただ中にもいたのである。
ここでは76年のデビュー・アルバム『Blondie』に収められていた「Rifle
Range」「In The
Flesh」等4曲を披露してくれている。街のアイスクリーム屋のオネーちゃんが歌い出した風なデピーの姿も時代と言えばそれまでだが、後年のポップ・スター然とした不有情とは全く違って嬉しくなる。
さて、本作の超目玉がデッド・ボーイズのライヴだろう。
オハイオ州クリープランドで結成された5人組で、ストゥージズの影響を受けたワイルドでレアなサウンドを聞かせる。とくに現在のような鋼の筋肉を装備する前の若いイギー・ポップを思い出させるスティーヴ・ベイターのヴォーカルやステージ・アクションはニューヨークに登場したとたん評判となっていた。彼等のマネージメントをオーナーのヒリー自身がやったことからも、注目のされ具合がわかろうというものだ。
しかしあまりにもエキセントリックで破滅型の活動だったがためにバンドとして安定した活動をすることができなく、商業的に成功しなかった。ベイターはソロ・アルバムを作ったり、元ダムドのブライアン・ジェイムズとロート゜・オブ・ニュー・チャーチを結成して活動を続けるが、残念ながら90年に交通事故死している。不運な死のせいもあるが、やはり彼等があの時代ニューヨークを駈け抜けたパンク・サウンドの勢いは永遠の輝きを持つものなのだろう、いまだにパンクスの間では高い人気を誇っている。
そんな彼等の伝説のナマ・ライヴだ。興奮しないわけがない。しかも曲がデビュー作の名鑑『Young,Loud
And
Snotty』から3曲。それもことにファンの間で人気の高い代表曲ばかりというのが嬉しい。ステージを転げ回り、激しい勢いでマイクに挑みかかるベイターの姿はパンクそのもので、意外にこうしたストゥージズ、セックス・ピストルズ・タイプのパフォーマーがいなかったニューヨーク・シーンでは際立っている。確かにこれだけのエネルギーをふりしぼっていたら、バンドがそうそう長続きするわけもないよな、と実感できるシーンだ。
さて、この3バンドを軸に関係者の豊富な話で浮かび上がってくるニューヨーク・パンク・シーンは、いま見てもやはり魅力的だ。これに加えてパティ・スミスやテレヴィジョン、リチャード・ヘルらがワサワサしていたのだから豪華なわけだ。それもこれもCBGB'sという一つの中心点がしっかりとあったからこそ、起こった出来事でもある。それを実感できる歴史的な映像がこれだ。もっと無いんですかねぇー。
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